荒木孝洋

最近、日常使われる言葉の種類が、子どもたちの間で、というより社会全体で減る傾向にある気がする。仕事でのやりとりが電話や対話からメールに変化したことも要因のひとつであろう。メールは話し言葉のような気安さも含みながら、短文が要求されるから語彙が少なくてすむ。仕事ならそれでよいだろうが、どうも日常会話までメール風になっている人が増えているようで気になる。元来、思考は頭の中で言葉を駆使しながら行われるから、乏しい語彙力ではそれを通した狭い社会しか見ることができないことになる。つまり、言葉の省エネが過ぎると思考が単純化し人生の劣化を招くことになる。